ぴよこの体験記

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正しいオタクの在り方

「正しいオタク」というワードにピンときてしまった人はオタク文化に精通し、一度は何かに拗らせたことがあるオタクじゃないでしょうか。

私も例に漏れず、正しいオタクという概念から外れた拗らせたオタクでした。

 

今回はお題で私がとらわれていた「しなきゃ」の話です。

 

私がとらわれていた「しなきゃ」は「オタクは推しに○○しなきゃ」です。

ここに入るのは「貢がなきゃ」とか「結婚したらお祝いしなきゃ」とか密かにオタク界隈に蔓延る「正しいオタクの在り方」という概念。

SNSが発達した世の中で、自然とオタクとはこうあるべきというルールを刷り込まれた人って現実にたくさんいると思います。

所詮趣味なのだから、推しの活動を保障する義務は全くないはずなのに、推しに貢げば貢ぐほど偉い。古参オタクは偉い。オタクならこのエピソードを知ってなきゃいけない。好きなら推しの行動は肯定しなきゃいけないという風潮はどこの界隈にも少なからずあります。

 

最初は好きだから「CDを買う」「グッズを買う」「出演作品を見る」から始まったはずなのに、それがいつの間にか「CDは初回限定版、通常版の全形態を買わなきゃ」「ライブグッズを全種類買わなきゃ」「同じ公演は二度とないんだから遠征して何回も入らなきゃ」「出演作品は全部見なきゃ。視聴率のためにリアルタイムで見なきゃ」誰かが決めたルールに縛られて、いつしか推しが世界の中心であるかのように回り始め、自分の限界を超えてある種の義務感を覚えながらオタク活動をしてしまっていた時期がありました。凄く偏った既成概念にとらわれていたと思います。そんな生活をしていれば貯金なんてできるはずもなく、バイト代はほぼ推しと各種交通機関、宿泊施設へと消えていきました。

 

そんな凝り固まった私のオタ活を卒業に導いた出来事が「推しの結婚」でした。オタクが推しから離れてしまう要因の中でも分かれ目になるであろうイベントのひとつが「結婚」や「熱愛」ではないでしょうか。「推しが結婚したときにお祝いできなきゃファンじゃない」という言葉はSNSを利用していれば一度は見たことがあると思います。私はこの言葉が大嫌いで、推しを好きでいた気持ちや時間は人それぞれあり、それは他人に否定されるものではないと思っています。併せて、推しの言動を必ず肯定するべきだとも思いません。私たちから見える推しは偶像であり、自分とは全く別の人間です。自分の感情を理解することも難しいのだから、推しの全てを理解することはできないし、肯定できなくて当たり前です。

 

私のかつての推しは結婚していたことを公開せず、それを週刊誌にすっぱ抜かれました。まあよくあることですが、最近まで結婚するなら可愛いアイドルがいいなぁと冗談交じりにこぼしていたのを聞いていたファンからすると、とんでもない衝撃です。私は推しが結婚していた、恋愛していたことが嫌なわけではなく、熱愛や交際期間が発表されることで「あの頃には相手がいたのか。じゃあ今までのあの発言は嘘だったのか」と楽しかった思い出を余計な答え合わせと邪推で汚されてしまうことが嫌でした。これは悲しいことに推しを追っている時間が長ければ長いほど、雑誌のインタビューやラジオやテレビでその人となりを知れば知るほど、起きやすいことです。

同時にやってくるのが、ファンなら結婚をお祝いしなきゃいけないよ。推しの幸せを祝えないなんてそんなのファンじゃないよという同調圧力

 

いつか結婚発表を聞く時がきたらおめでとうと泣いて喜ぶんだろうなと思っていたけど、現実は結婚がバレてしまい言い訳を繰り返す推しがいて、素直にお祝いの言葉が言えなかった。この感情に見ないふりして祝わないと本当のファンじゃないのか。

どうしても気持ちの整理がつけられず、ファンを辞めてしまいました。買ったグッズを売り払っても、払ったお金の全ては戻ってきません。戻らない時間とお金に後悔がないといえば嘘になりますが、これほど誰かをまっすぐに好きになり、一つの発言に一喜一憂して熱中したことは人生において一度あるかないかの経験だろうな…と前向きに捉えることができるようになりました。実際こう思えるまでにかかった時間は推した年数の半分くらいを要し、その間は一度死んで現世を未練がましく漂う幽霊のようでした。我ながら拗らせすぎて笑ってしまう。

 

少し脱線してしまいましたが、アラサーになった私が前向きに新たな推しを見つけて、二度と同じ気持ちを味わうことがないようにした行動は「自分と周囲の人間を一番大切にすることと、SNSで推しのオタクと繋がらないこと」です。

余計な同調圧力に惑わされず、仲間と話しを合わせるためにオタ活をすることもなく、自分の身の丈にあった楽しみ方ができる。もし見たくない時がきたらそっと離れることもできる。

私の方法にも正しさなんてないけど、趣味は決して身を滅ぼすものではない。推しは私たちに夢を見せてくれて現実と戦う力をくれるけど、生活を保障してくれるわけではない。用法容量を守って、乾いた心を潤す存在であるくらいが丁度いい。


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